2016/12/10(土)19:30〜

空間プロデューサーの”手の内”がだだ漏れ! – 中村貞裕 PRODUCERS CAMP TOKYO 

スケジュール調整ツール「調整さん」が主催するイベント、PRODUCERS CAMP TOKYO。「調整」を「プロデュース」と捉え、各業界の第一線で活躍されているプロデューサーをお招きし、計6回のセミナー講座を行っていきます。

12月3日に行われた第一回目は、ゲストとしてTRANSIT GANERAL OFFICE(トランジットジェネラルオフィス)の代表取締役である中村貞裕さんにお越しいただきました。

中村さんは、「世界一の朝食」のキャッチコピーで一躍有名になったオールデイカジュアルダイニング『bills』や、台湾の人気ナンバー1かき氷店『ICE MONSTER』、NYで行列の大人気ペイストリーショップ『DOMINIQUE ANSEL BAKERY』などの空間をプロデュース。常に話題のスポットを生み出すヒットメーカーとして、注目を浴び続けています。そんな中村貞裕さんに、空間プロデュースについてお話いただいたトークセッションの様子を、たっぷりとお伝えしていきます。モデレーターは、Media Technology Lab.の古川です。

古川
まずは、自己紹介を簡単にお願いします。

中村さん
大学卒業し、伊勢丹で働き30歳の時にトランジットジェネラルオフィスを設立し、「OFFICE」というカフェを開業しました。今はレストランやカフェを80店舗くらい運営していて、30店舗ほどオープンの準備をしています。また、レストランやケータリング事業、不動産事業のシェアオフィスをやっていて、シェアオフィスは現在30店舗くらいあります。最近では、中目黒の高架下にもうどん居酒屋「二○加屋長介」と麹町にシェアオフィスをオープンしました。今後もこれまで培ったノウハウを活かして、ホテルやレストランのプロデュースをしていきたいと思っています。

古川
これら全部を、TRANSIT GANERAL OFFICEで手がけられているんですか?

中村さん
TRANSITグループ全体で行っています。TRANSIT GANERAL OFFICE自体は、プロデュースと飲食店のオペレーション事業が中心で、先ほどのシェアオフィスは100%子会社のREALGATEが、ケータリング事業はTRANSIT CREWという会社がやっています。

100×1と1×100は同じこと、そして100を最大化する

古川
伊勢丹の同期の方のお話が出ましたが…中村さんは伊勢丹時代にどのようなキャリアを積まれてきたのでしょうか?

中村さん
僕は、『ミーハー仕事術』という本も出しているんですが、もともとすごくミーハーなんですよ。子どもの頃から飽きやすい性格で、何をやってもすぐにやめてしまいました。部活に入ればすぐにやめるし、ギター、スケボー、サーフィン、DJ…。彼女ができれば料理もやって、でもオムライスができるようになったら満足してしまったり。最近もゴルフを始めたんですけど、多分続かないと思います(笑)。

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ただ、20歳くらいになると僕がやめてきたものを2年とか3年続けてきた人たちがいて、それを趣味にしていたり、仕事にしている人が出てきました。それで、あの時やめなければもっとうまくなっていたかもしれないのに、とそれがコンプレックスになってきたんです。でも、そんなプロフェッショナルな人たちから「今度デートなんだけど、どこ行ったらいい?」とか「忘年会の幹事なんだけど、いいところない?」とか、聞かれるようになったんです。あとは、憧れの大先輩から「今、君たちの間で何が流行ってるの?」と聞かれるようになって…。その時に、広く浅く知っていることが、トレンドを知っていることにつながっているのかなと思いました。1の知識を100個持っているのと、100の知識を1個持っているのも一緒なんだと感じたんです。僕の場合は、1の知識を100個持つことが得意。それをミーハー仲間と組めば、200にも300にもできる。そんなことをやっていくうちに、今の仕事にたどりつきました。

伊勢丹に入社した時も、実はすぐにでも辞めようと思っていました。
でも、そんな時に恩師である藤巻幸夫さんに出会ったんです。当時、藤巻さんはアパレルブランドの若手の優秀な人を見出して、1階の一番目立つ場所に売り場を作ってあげるという、百貨店にとっては画期的なことをやっていました。それを見ていいなと思ってしばらく経った頃藤巻さんのアシスタントになれたんです。藤巻さんと一緒に、いろんなイベントを担当させてもらいました。

古川
伊勢丹の看板を提げて仕事をされていた時から一転して、30歳の時に独立されて、不安とかはなかったですか?

中村さん
藤巻さんが辞められたっていうこともあったし、30歳の時に大きな仕事をやれたということもあって、タイミング的にはちょうどよかったのかもしれません。あとは、藤巻さんから「出世しろ」という風に言われていたんです。僕は“出世”って、“世に出ること”だと思うんですよね。僕は、伊勢丹にいる間に伊勢丹というブランドネームをフルに使って仕事をしてきました。それで、もうその看板がなくても“世に出て”仕事ができるなと。一般的には、会社にいてその会社で役職を上げていくことが成功パターンだと思うんですけど、僕には向いていなかったので。

肩書は「Cultural Engineer Officer」

古川
独立されて最初にカフェ事業を始められたということですが、今は、“空間総合創造企業”というかたちでお仕事をされていますね。その辺りを、もう少し詳しく教えていただけますか?

中村さん
独立した当初、“企画運営会社”をしていました。僕らが企画を出し運営受託をするということをやっていて。そこから派生してイベントもやるようになって、出張でカフェをやるようになっていったんです。そうこうしているうちに、僕らの出張カフェを気に入っている人たちが、カフェのプロデュースとかホテルのプロデュース、美容室のプロュースとかの仕事をやったらいいんじゃないかという風に言ってくれて、“空間に関する何でも屋さん”になろうと思うようになりました。それで、現在の“空間総合創造企業”というところにたどりつきました。

あと、4年くらい前にロサンジェルスに行った時に出会った人に「僕のような仕事の場合、何て言ったらいいのかな?」って聞いたんですよ。そうしたら、「中村くんみたいな仕事は、プロデューサーじゃなくて“Cultural Engineer(カルチュラル エンジニア)”だよ」と言われました。何か空間やものを作って、それをただ作るだけではなく運営して、カルチャーを作ったり街を作ったりする人のことを、そう呼ぶんだそうです。その時に思い出したのが、以前ニューヨークの『ACE HOTEL』の代表と名刺交換をした時に表に“CEO”と書いてあったんです。それは” Chief Executive Officer“のことだと思いますよね? でも、実は名刺の裏を見たら“Cultural Engineer Officer”と書いてあったんです。それを見た時におもしろい表現をするなあとその時は思っていたのですが、 “Cultural Engineer”という言葉は、海外では一般的に使われている言葉だとわかったんです。

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だから、今の僕らは、作りっぱなしではなくて運営もしていく。その僕らの活動が街を作ったり、今まで日本になかったカルチャーを作ったりしていく。そんな“Cultural Engineer”になりたいなと思っています。それで、“空間総合創造企業”も“Cultural Engineering Company”に変えようかなと少しずつ動いているところなんですよ。

古川
今回のPRODUCERS CAMP TOKYOの卒業生からも、“Cultural Engineer”が出るといいですね!

中村さん
はい。“Cultural Engineer”は世界中にいて、仲良くなると一気にその街に詳しくなれる人のこと。僕はニューヨーク、台北、シンガポール、オスロ、ロンドンの“Cultural Engineer”と知り合いで、その土地に行く時は、必ず彼らに会って情報交換をします。僕の場合は、その街の“Cultural Engineer”がプロデュースしたホテル、カフェ、レストランなどといった切り口でその街を見ています。

中村氏が手掛ける「空間プロデュース」ビジネス

古川
このカフェに行ったから、周りのカフェも行ってみようという考えではなく、その国の“Cultural Engineer”が作ったカフェ、レストランという巡り方をするということですね、おもしろいですね。

中村さんは今、ほんとうにいろいろな事業をされているとは思うんですが、事前にお話を聞かせていただいたところでは、直営でやられているところと運営を受託されているところ、あとはプロデュースだけやられているところなどあるようですが、それはセグメントを分けてお仕事をされているんですか?

中村さん
そうですね。なぜそうなったのかというと、企画運営という仕事からスタートしましたが、今は『sign』や『THE THEATRE TABLE』などは直営、つまりオリジナルブランドとして運営しています。最近だと、鎌倉に作った『Pacific DRIVE-IN』もそうですね。ここは、看板の下がインスタスポットになっていて、たくさんの人がここで写真を撮ってインスタにあげてくれています。

それで、さきほどのオリジナルブランドではなく、運営受託というスタイルで仕事を受けているものは、企業やブランドが新業態としてお店を出す時に、請け負うものです。たまたま僕が独立して3年目くらいの時に、某高級ブランドから、ブランドビルの真ん中にカフェを作ろうということになって。その時に、元伊勢丹の上司だった人たちから相談に乗ってくれと声がかかって、結局運営までやることになったんです。そこから、『DIESEL』 、『キャスキッドソン』などのファッションブランドや車メーカーのカフェ。あとは、スカイツリーの展望台のカフェを二つ運営していたりだとか…。

古川
それは、中村さんが仕事を取りにいくんですか? それとも、先方から話が来るんですか?

中村さん
問い合わせが多いですね。運営受託を行っているところがあまりないんですよ。そこの社員になるみたいなかたちなので、売り上げが月50万だとしても10件持っていたら年間で5,000万円。それをいいと見るかどうかというところなんですが、今ではそれが30店舗くらいに増えてきたので、それなりの利益がでるようになってきました。
それで3つ目が、最近僕らの仕事の中心になってきている日本初上陸の店舗のビジネスです。『bills』の時は、PR会社のSUNNY SIDE UPと合弁会社を作って、本国・シドニーとも雰囲気が近い七里ヶ浜に日本第一号店を出店することになりました。その後店舗も徐々に増えていきました。それで、ビジネススキルが溜まってきたのでこういう海外の業態をやってけるなと感じ、海外からいろいろお店を持ってこようよと探し始めました。『MAX BRENNER』とか『ICE MONSTER』、『DOMINIQUE ANSEL BAKERY』、『THE APOLLO』、『Guzman y Gomez』、今後はイタリアンなどが控えています。
去年、三越伊勢丹と三越伊勢丹トランジットという会社を作りました。僕たちが持つライセンスとノウハウと、三越伊勢丹が持つ歴史とノウハウをミックスさせて、『Starbucks Coffee』に代わるようなブランドを海外から取り入れられたらと考えています。

プロデュースは“因数分解”から

古川
あと、プロデュースに関してはいかがですか…?

中村さん
ホテル『CLASKA』をプロデュースしたことから、始まった事業です。そこから大阪の『堂島ホテル』もプロデュースをしました。そのあとは、愛媛・宇和島の『木屋旅館』をプロデュースして話題になりました。僕らの仕事は、メディアを駆使して行うプロデュースなので、注目されるのは東京や大阪くらいかなあと思っていたんですが、こういった建物を取り上げる海外の雑誌は、国別ではなくて都市別にみるんですよ、例えば『Monocle』とか。イケてる雑誌ほど、都市別に事例を紹介しているんです。今は、「アメリカに行きたい」とかではなくて「ニューヨークに行きたい」「ポートランドに行きたい」という都市で見る時代なので、日本の中で愛媛を見ると田舎だと思うかもしれないんだけど、愛媛という一つの都市として海外は見るんです。東京と同じような感覚で、愛媛が捉えられているので、海外からもウケがいいんです。
その事例がうまくいったので、そのあとは地方からの仕事も来るようになりました。そのうちの一つが、“東北エモーション”。
東日本大震の復興支援ということでJR東日本からの依頼でプロデュースを担当し、レストラン列車を作ったんです。地元の工芸や素材をモチーフに使って内装をやってもらって、福島在住の外国人のイラストレーターにいろんなプロモーションのイラストを描いてもらったり、宮城のミュージシャンに音楽を担当してもらったり。さらに、東京でも予約の取れないレストランのシェフや地元の有名シェフにメニューを監修してもらっているのですが、その監修者が半年に1回変わっていく。そのプロジェクトが非常にうまくいっていて、三ヶ月間分くらいの予約が大体二日間で埋まってしまうほどです。
あとは、徳島県の上勝町は、日本でいちはやくゼロ・ウェイスト宣言した町。そこの出身の人がクラフトビールで町を盛り上げたいとのことで、廃材を使った工場を作って、そこで地ビールを売ったらすごく話題になって、いろんな雑誌とかの表紙にもなっているんです。そのオーナーが、地元ではちょっとしたスターになっちゃったくらい(笑)。その東京店として、東麻布のシェアオフィスにタップルームを作ったりもしました。今後は上勝町の別の土地にある製材所跡地をコンバーションし、ロンドンの建築家と組んで巨大な第二工場と実験的なスペースを作る予定です。

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古川
中村さん、スケールが大きすぎますね(笑)。

中村さん
さきほどの列車の話でいうと、今年は上越新幹線のプロデュースもやりました。新潟・上越地域の活性化の起爆剤としてJR東日本から「ワクワクする新幹線を作ってくれ」と。それしか言われなかったんです。

古川
すごい、おおまかですね(笑)。

中村さん
はい。現美新幹線は運行する越後湯沢から新潟間はトンネルの中を走る時間が長いんです。どうしようかなと思ったら、新潟は『大地の芸術祭』というものをやるくらいアートに力を入れているんです。それで、アート列車をつくることになり、コンセプトを“世界最速美術鑑賞”としました。早速、個人的仲がよい、蜷川実花ちゃんじゃないかと思って相談をしに行きました。話をしてみると偶然彼女が長岡の花火大会の写真を撮っているというので、その花火の写真でラッピングをすることになったんです。あとは、新潟や新幹線にまつわるアーティストに写真を撮ってきてもらったり、アニメーションを作ってもらったり、それぞれ作品を作ってもらいました。この新幹線の中にはカフェがあるんですけど、そこにはうちのスタッフが新潟中を飲み歩いた中で一番おいしいと思ったコーヒーを使って、燕三条金物本舗にグラスやスプーンを作ってもらったりして…。

古川
燕三条さんは、よくビアグラスとかがありますよね。

中村さん
はい、そうですね。メガネだったら鯖江、金物だったら燕三条みたいな。
そんな風に、プロデュースに関しては、常に60件から70件ほどやっていて、それを10人くらいのプロデューサーに振り分けて進めているんですけど、ここは今忙しい部署ですね。

古川
これが、今やられている事業の中の一つ、プロデュース事業で、全部で4つくらいされているということですよね?

中村さん
はい。あとは、シェアオフィスなんかも。その4つがTRANSIT GENERAL OFFICEの事業の柱ですね。

古川
話がさかのぼりますが、さきほどの『THE APOLLO』を事例に、どんな風にプロデュースを進めていくのかを教えてもらえますか?

中村さん
『THE APOLLO』は、銀座の東急プラザができる三年くらい前からの話になります。表参道の東急プラザの飲食リーシングプロモーションを担当し、それが非常にうまくいったので、銀座の東急プラザ全体のプロデュースも含めて最初に持ちかけてもらったんですよ。それで、「銀座店は、初上陸ものがいい」と言われて。その当時、『bills』の件でシドニーによく行っていた時に、毎回行く『THE APOLLO』というお店があったんです。僕は、2020年のオリンピックに向けて、イタリアン、フレンチ、和食だけでは東京がインターナショナルな街にならないと思ったんです。ギリシャ料理やタイ料理は、小さな個人経営みたいなお店はあるものの大きな店舗がない。それで、イタリアンやフレンチで勝負するよりもニッチなところで攻めた方が目立つんじゃないかとも思いました。実際に東急プラザの人をシドニーの『THE APOLLO』に連れていったら気に入ってくれて、話が決まったんです。

いつも僕らは、お店のコンセプト、いわゆるメディアへの戦略であるキャッチフレーズを最初に作るんですね。『ICE MONSTER』は、“世界一のかき氷”。あとは、有名人やハリウッドスターは誰が来たのかとかを聞いて、使えるものは使います。
そのあと何をするかというと、コンテンツを出していくんです。

古川
これ、プロデュースのやり方が思いっきり垂れ流れていますよ(笑)、みなさんよく聞いておいてください。

中村さん
はい(笑)。僕らは、“お店を因数分解する”と言っているんですけど、要素ごとに分けていくんですね。インテリアデザイン、グラフィックデザイン、制服、BGM、メニュー、シグニチャーメニューという風に。ほんとうにすごいシェフだったらその人の名前とメニューだけでいいと思うんですけど…。ちなみに僕らのコンテンツは、メディアにたくさん出ることを考えて作っています。行き詰まった時には何をするかというと、とにかくテレビや雑誌などいろんなメディアを見るんです。そうすると、例えば“イケメンカフェ特集”という特集があったとして、そうすると、“スタッフ”という切り口があるなとか、“夜景が見えるお店特集”という特集があったら、“借景”という切り口があるなとか、取材されるためのフックが見つかっていくんです。

そこでコンテンツが決まったら、次はキャスティングをします。メニュー名、人の名前、イベント名とか。それで、できるだけプレスリリースに散りばめて、スタッフ全員で拡散していく。そうして、まずはマスな情報誌に出るというのが、僕らのやり方なんです。普通は、高感度なファッション誌とかに出たいと思うじゃないですか。でも、今の時代は違うんです。まずは、マストな雑誌を制して、次はテレビに。

それから僕たちは、海外から持ってきたお店はできるだけそのまま再現するのがルール。メニューのサイズとかも。まあ、味だけはちょっと変えるんですけど…。

古川
日本だと、こんな感じが流行るかも? という風には変えることはないということですか?

中村さん
そうなると、最初からすべて自分たちで作ればいいという話になってしまいます。僕らがやっているのはそのまま日本に持ってくるというスタイルなので、お店のスタイルはほとんど変えません。メニューの書き方やフォントから、宣伝の仕方、スタッフの髪型、制服、一個ずつクリアしていって、極力デザイナーも同じ人にします。

古川
じゃあ、現地のお店に行ったこともある人も満足できるくらい、再現度が高いという感じですか?

中村さん
はい。さらに、コンテンツが強力であればあるほど、雑誌の見開きで特集されやすくなりますね。
最近、一番強いコンテンツは“日本初上陸”。あと、これからはオーガニック時代ということでオーストラリアも注目されています。“世界のレストラン 50”の発表も、今まではニューヨークでやっていたんですけど、来年はオーストラリアのメルボルンでやろうかという話になっているくらい。東京でのホットスポットも、今年は銀座だったけど、3年後には渋谷に移るといわれています。それはなぜかというと、大規模な開発があるということくらいなんですけどね(笑)。

古川
これまで、中村さんのいろいろな時代のお話を聞いたんですけど、これは失敗しちゃったなあというお話はありますか?

中村さん
失敗というか、80店舗くらい飲食店をやっている中で、閉店した店もあります。それにはいろいろと理由があって、一つは、ブランドと組んで運営していたお店が、ブランドがなくなるとともに閉店したから。あとは、お店が入っている商業施設の入館客数があまりにも少なくて、僕らだけではなくて全部のお店がだめになってしまったということもありました。でも、最初から自分はどんなゴールがいいのかを決めておけば、極力失敗というものは避けられると思いますね。

能力の限界で仕事の限界を決めたくない、だからチームで仕事をする

古川
なるほど。そのどういうゴールを設定するかという話になるんですが…今日、この会場に来ている参加者へのメッセージというか、プロデュースに対する哲学を教えてもらえますか?

中村さん
プロデュースの哲学…何だろう?たとえば、プロデューサーといえば最近有名な川村元気くん。彼とはすごく仲良しなんですけど、お互い仕事のやり方が似ているんです。彼は映画のプロデューサーですけど、何をやるかを決めて、そこからキャスティングをする。目利きか目利きじゃないかという話だけです。目利きじゃなければ、目利きの人を入れればいいわけで。

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基本的に、僕はチームで仕事をします。僕の能力の限界で仕事の限界を決めたくないんです。それは人脈もいっしょで、僕は英語がまったく話せません。でも、たとえば先週は外国人の方と3回食事をしています。どれも朝まで飲んで、「ベストフレンドだ」と言ってもらえているんですよ。テレビ会議も、先週はほぼ毎日外国の方としました。何でそうできるかというと、僕は英語ができないからといって外国人の友人ができないという風になりたくないので、うちのスタッフには僕が喋るのとほぼ同時に気持ちを理解できて通訳できる人が二人くらいいるんです。その二人を横に置くことで、“英語ができる中村”を作っているだけなんですよ。

古川
そうなんですか(笑)。

中村さん
あと、僕は全然カラオケで歌わないんですよ。でも、一昨日も朝までカラオケに行ってて。

古川
それは、歌わずに?

中村さん
そう、歌わずに。いっしょにカラオケに行くとみんなが、「中村くんとカラオケに行くとほんとうに楽しいね」と言ってくれるんです。それがいろんな人に伝わって、よく「中村くんとカラオケに行くとすごく楽しいんでしょ? 今度誘ってよ」と言われるんですけど、実際は僕と二人でカラオケに行っても何にもおもしろくない。今時じゃない沢田研二さんの歌を一曲歌うだけ(笑)。みんなが酔ってできあがっている頃に、そろそろ歌うかという感じで。何でそれでおもしろいと言ってもらえるかというと、今日いっしょに来てくれている矢部くんもTRANSITのカラオケメンバーの一軍ですけど、一軍メンバーにはショーパブとかにも出ているくらいの人もいます。いつもカラオケには、その一軍が5人くらいいるので連れていくんですよ。

要するに、カラオケができないからカラオケができる仲間を入れて、英語ができないから英語ができる仲間を入れて、チームを作ればいいんですよ。仕事も全部そうで、僕がインテリアデザインをできなくても、インテリアデザインができる人をチームに入れれば、空間をプロデュースすることができるんです。新しいデザインをしたいとなったら、また新しいデザイナーをチームに入れればいい。自分の能力で限界を作らないというのが、プロデュースの楽しさだと思うし、醍醐味ではないかなと思うんです。才能がある人は一人で全部こなすかもしれないけど、僕は人といっしょに仕事をするのが好きなので、自分よりも才能がある人と出会うと、うずうずしちゃうんですよ、その人と仕事がしたくて。その人と組むことによって、僕が今までできなかった仕事ができる姿が想像できるので。だから、僕が能力を持つ人に興味がなくなったら、この仕事が終わる時だと思っています。

“人が好き”という人は、プロデューサーに向いていると思います。
多分、その人はミーハーだと思うんですよね。やっぱり、ミーハーな人の方が情報が集まりやすいし、あとは組み合わせとキャスティングなので。それが、プロデュース業の冥利なんじゃないかなと思っています。

―――

こうして、中村さんがプロデューサーとして現在に至るまでの貴重なお話を聞くトークセッションが終了しました。気さくにどんどん話してくれる中村さんの口からは、思わず「こんなことまで話していいの?」と驚いてしまうようなお話がたくさん飛び出しました。参加されたみなさん、刺激のある一時間を過ごされたのではないでしょうか?

このあと、質疑応答の時間へ。参加者のみなさんからの質問に、中村さんがひとつひとつ全力に答えてくれました。普段は聞けないお話を、惜しみなくお話ししてくださった中村さん。本日は、ほんとうにありがとうございました!

第3回目以降のPRODUCERS CAMPには、今からでも参加できます!
気になる方は、こちらから。

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